【探究・知識を深める】七夕まつり、いま・むかし

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「七夕」と「たなばたつめ(棚機つ女)」信仰

天の川の両岸にあるひこぼしおりひめが年に一度会うことができる、という伝説に基づいて、星をまつる行事として行われていた七夕。今年は、「仙台七夕まつり」がコロナ禍前と同じ規模で開催されるなど、各地で様々な催しが見られるようです[1]

七夕伝説は、古くは『詩経』(前9世紀から前7世紀)のなかで言及されています。中国では七夕の日に女性の「裁縫の上達を祈る乞巧奠(きこうでん)という習俗があり、これが日本の機を織る女『棚機つ女(たなばたつめ)』の信仰と習合した」と考えられています[2]

仙台七夕まつりの起源は江戸? 昭和?

東北三大祭りの一つである「仙台七夕まつり」。2022年に開催された際は3日間で225万人が訪れています[3]

仙台では江戸時代から、7月6日に歌をよんだ短冊などをつけた笹竹を軒端に立ててひこぼしとおりひめをまつり、翌日にその笹竹を川に流す七夕行事がありました[2]。この行事は明治になってから行われなくなったものの、「不景気を吹き飛ばそうと昭和2年、商家の有志達が仙台商人の心意気とばかりに、華やかな七夕飾りを復活」させたとされます[4]

仙台七夕まつりが復活した昭和2年は西暦でいうと1927年で、この年に昭和恐慌が始まっています。経済の先行きが不透明な時代に仙台で七夕まつりが復活したものの、第二次世界大戦の戦況が激しくなって以降、七夕飾りの姿はほとんど消えてしまいました[4]。しかし、終戦後の1946年、およそ10年ぶりに七夕の竹飾りが立てられるようになり[4]、現在では多くの人が訪れる七夕まつりとして全国に名が知られるようになりました。

日本各地の七夕

仙台以外にも、日本各地で大小さまざまな七夕まつりが開催されていますが、なかでも鹿児島県いちき串木野市大里で行われている「市来の七夕踊り」は最も興味深いお祭りの一つといえるでしょう。

この祭りでは、作い物(つくいもん)と呼ばれる巨大な鹿や虎、牛、鶴のつくり物が登場し、このほかにも大名行列やなぎなた行列、かぶと行列のあとに太古踊りの集団が続き、踊りを奉納します(なお、この「市来の七夕踊り」は国指定重要無形民俗文化財に指定されています)[5]

このほかにも全国各地には、興味深いお祭りがたくさんあります。身近な地域や旅行先、帰省先の七夕まつりの由来や歴史を調べてみると、意外な発見があるかもしれません。

参考文献
[1]河北新報オンライン. 仙台七夕、4年ぶり通常開催へ 飾りの高さ制限も撤廃. 2023-03-29.  (参照2023-06-20)
[2]ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 “七夕”. (参照2023-06-20)
[3]読売新聞オンライン. 仙台七夕 来場225万人. 2022-08-10. (参照2023-06-20)
[4]仙台七夕まつり協賛会. 仙台七夕を知る. (参照2023-06-20)
[5]ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 “七夕踊、市来 ”.  (参照2023-6-20)


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