粘り強い努力を重ねて「根岸クロスカップリング反応」と呼ばれるパラジウム触媒を発見し、現在広く普及している医薬品や液晶などの開発に大きく寄与された根岸先生ですが、ノーベル賞授賞式晩さん会で見せた、スウェーデンのビクトリア王女をエスコートする洗練された立ちふるまいに憧憬の念をいだいた方も多かったのではないでしょうか?
ブリタニカ・ジャパンは過去に2度、根岸先生から、記事作成にご協力を賜ったことがあります。一つは『ブリタニカ国際年鑑』2011年版での特別寄稿「ポジティブに生きる~Eternal Optimism」、もう一つは同2018年版への寄稿「触媒が未来を変える」です。
特に2011年版の特別寄稿「ポジティブに生きる~Eternal Optimism」は、日本の編集部が直接、根岸先生と交渉した案件で、なんとか2011年版の記事にすべく先生と接触をはかろうとした当時の編集担当者の苦心と不断の努力の結晶です。そして、アポイントなしにもかかわらず編集部の熱意を真摯に受け止め執筆に快く応じてくださった根岸先生、アメリカに生活の拠点を置く先生が偶然にも日本滞在中に出くわした「3.11」の巨大地震、そして原発事故……。ブリタニカにとって忘れがたい、この記事にまつわる思い出が、以下、編集担当者による手記「根岸先生の思い出」に実に生き生きと描かれています。
「根岸先生の思い出」(ブリタニカ・ジャパンより哀悼の意を込めて)
2010年、アメリカ合衆国パーデュー大学の根岸英一特別教授が、その他二人の研究者とともにノーベル化学賞を共同受賞した。そこで『ブリタニカ国際年鑑』編集部では、受賞者の研究実績を紹介する「ノーベル賞受賞者」のコーナーで根岸先生を取り上げるのみならず、ご本人にその半生を振り返ったエッセーを執筆していただきたく、2011年版での掲載を目指して、直接交渉に臨んだ。
2010年の年末までに入手できうるかぎりの資料に目を通して依頼内容をほぼ固め、編集会議を経て、2011年1月31日に正式な執筆依頼状(2月末〆切)をパーデュー大学に送信。ご多忙の身であることは承知のうえなので、執筆依頼を受諾いただけるか否かを2月4日に大学に問い合わせる。2月8日、根岸先生より「多忙につき2月末〆切では困難と思われる」とのお返事。では、〆切を過去に例のない3月中旬まで延ばしに延ばし、誌面をあけてお待ち申し上げますと懇願、なんとかご了承いただいた。
ほっとしたのもつかの間、根岸先生のノーベル賞受賞後の多忙さはご本人の想像をはるかにこえ、こちらからの依頼原稿は6月か7月までは書けそうにないので、もう1年先の2012年版の掲載にしていただけないかとのメールを3月2日に頂戴する。なんとしても2011年版への掲載を実現させたい編集部としては、本の制作に赤信号がいよいよ灯る3月中旬まではなんとしても入手したい、とあきらめられず、そこをなんとかと最後のお願いを試みることを決意する。
その後は電話を差し上げるも不在が続き、なかなか返信をいただけないまま時は過ぎる。ようやく3月8日にパーデュー大学の根岸先生の秘書からメールが届く。それによると、3月9~10日に千葉県木更津市で開催される、持続可能な社会を実現する触媒科学をテーマにした国際シンポジウムに出席するため、根岸先生は日本に向かっているはずだという。そうとわかったら、携帯電話をお持ちにならない根岸先生には直接の面会を試みるほかはない。翌3月9日早朝から木更津市の会場にはりつく強硬手段に出た。到着するや、会場のエントランスで、手にはまだ面識のない根岸先生の顔写真を握りしめ、通り過ぎる先生を見逃さないよう細心の注意を払って待ち続けた。
4時間ほど経過して、根岸先生の姿を確認。ぶしつけながらご挨拶させていただき事情を説明すると、先生はたいそう驚かれたご様子だったが熱意はご理解いただき、この日の懇親会終了後にお話を聞きましょうと言ってくださった。その時間が来るまで、会場のロビーで執筆が比較的短時間で済ませられるように依頼内容をもう一度練り直す。午後8時30分に懇親会終了後の先生と面会し、3月16日午前中には原稿の下書きをお渡ししましょうとお約束をいただいた。そして翌日3月10日も木更津にうかがい、根岸先生の講演を拝聴した。
やっと原稿入手の目途がついてとひと安心していたところに、「2011年3月11日」がやってきた。東日本大震災である。物理的なダメージも小さくなかったが、なによりも日本に滞在中の根岸先生のことが即座に心配になった。念のため3月14日には宿泊先のホテルに立ち寄り、先生のご無事の確認と明後日のお約束の再確認を記した手紙をフロントに預ける。
3月16日、約束の午前10時に帝国ホテルにうかがうと、根岸先生は奥さまとともに笑顔で出迎えてくださり、ゆっくりお話できることを楽しみにしていました、とおっしゃってくださった。いただいた原稿の補足として、先生の中国大陸での生い立ちから幼少期の苦労、学生時代の人生のターニングポイントなど、専門家による化学分野のインタビューとはまったく異なる、人生の話を、根岸先生は嫌な顔ひとつ見せずに常ににこやかに話してくださった。
話題はおおいに横道にそれ、尊敬する人物や好きな音楽家なども話題になったが、ニュートンやアインシュタイン、さらにベートーベンというオーソドックスかつスタンダードな人物の名前が即答で返ってきて驚いた。ここに、なにごとに対しても正々堂々と真正面から取り組む先生の誠実さや人柄を感じないわけにはいかなかった。つまり、奇をてらって少しは個性を示そうなどというそぶりが皆無なのだ。また、午前中から宿泊中のホテルに押しかける招かれざる客に対しても、根岸先生の奥さまはあたかも自宅で客をもてなすかのようにていねいにお茶を淹れてくださるなど、細やかなお気遣いを示してくださった。
そして根岸先生は、数日前の悪夢のような「3.11」のことにもまったく心の動揺を見せず、ただ最後に「自然とはそういうものですよ。私は科学技術への視点も性善説によっています。なんでも悪用されたり悪い結果を生んだりしますが、人類の性善説で必ずそれらは乗り越えられるものです」と静かに微笑んでいらっしゃったのが印象的だった。
こうして、このときいただいた原稿が2011年版の『ブリタニカ国際年鑑』特別寄稿「ポジティブに生きる~Eternal Optimism」となって結実した。
5月に掲載本をお送りすると、その出来ばえに根岸先生はたいへん感謝してくださった。専門分野に縁もゆかりもない門外漢のインタビューで半生を語るという「例外的な経験」を、きっと根岸先生は性善説的に喜んでくださったものと信じている。
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