映画監督としての足跡
平成という元号が始まった1989年は、くしくも河瀨監督が初めてカメラを手に取り、映画監督としての歩みを始めた年でした。その後の活躍は枚挙にいとまがなく、『につつまれて』で1992年山形国際ドキュメンタリー映画祭国際批評家連盟賞を受賞、そして『萌の朱雀』で1997年に第50回カンヌ国際映画祭カメラ・ドール(新人監督賞)を史上最年少で受賞、ついに2007年には『殯の森』で第60回カンヌ国際映画祭グランプリを受賞します。さらに2015年には樹木希林主演の『あん』が、第68回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門のオープニング作品とされ、2018年にはジュリエット・ビノシュを主演に迎えた国際的意欲作『Vision』を公開し、世界的映画監督としての地位を不動のものとしています。そのことは、2018~19年にパリのジョルジュ・ポンピドー国立芸術文化センター(ポンピドーセンター)で『河瀨直美監督特集特別展・特集上映』が開催されたことが証明しているのではないでしょうか。
スポーツ-記録-人間
実は河瀨監督、オリンピックやスポーツとは無縁ではありませんでした。高校時代は、バスケットボール部のキャプテンとして国体に出場するほどのアスリートだったのです。そんな経験をもちながら映像の世界に飛び込み、大きな組織に属すことなく、多くの人に感銘を与える作品を着実に撮り続けてきた河瀨監督は、きっと独自のまなざしでオリンピックを、スポーツを、そして競技を通じた「人間の本質」を記録してくれるに違いありません。昭和を代表する名監督、市川崑による1964年の『東京オリンピック』は「記録か芸術か」という有名な論争も引き起こしました。平成の時代をカメラとともに生き抜いた河瀨直美監督は、令和の時代に開催される東京オリンピックをどのように後世に語り継いでくれるのか、期待はふくらむ一方です。
河瀨監督が夢中で駆け抜けたおよそ30年にわたる「平成」という時代。『ブリタニカ国際年鑑2019』では、河瀨監督に自分のことばでこの時代を回顧し、いかにして人間の普遍性を探るために闘ってきたかを書き下ろしていただきました。
時代が変わっても河瀨さんの生きる軸、リアリティを追求する気持ちは、ぶれることなく貫かれています。その姿勢は次のことばに端的に表れているでしょう。
「足もとに広がる世界、掌に乗るだけの幸せ、それこそが世界とつながる大切なものたちなのだと自覚しながら。」
ぜひこの機会にご一読ください。
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