【探究・知識を深める】「関東大震災」から100年

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1923年9月1日午前11時58分頃、相模湾北西部を震央とする推定マグニチュード7.9の地震が関東地方を襲いました。関東大震災です。

私たちの記憶に新しい2011年3月の東日本大震災では、2万近くの命のほとんどが沿岸域を襲った津波によって奪われましたが、関東大震災(津波も発生しました)では、死者・行方不明者10万超の半数以上が東京市(当時)の120ヵ所以上で発生した火災によるものでした。

地震当日の夕刻、東京市本所区(現在の東京都墨田区)の旧陸軍被服廠跡の狭い敷地で約3万8000人が焼死した悲劇はあまりにも有名です。この集中的な被害は、住民が避難の際に持ち出した大量の家財道具に火の粉がふりかかり、おりから日本海沿岸を通過していた台風に伴う強風や、周辺広域の大火災で発生したつむじ風(当時は竜巻が発生したといわれました)にあおられるなどの条件が重なったことが原因といわれています。

ここまで激甚な被害にエスカレートするには、必然・偶然を含むさまざまな要因が考えられますが、忘れてならないのは、地震は季節も気候・気象も無関係に、あたりまえに大地を揺らすということです。うららかな春の日かもしれないし、うだるような猛暑の日、都市機能をも凍らせる大雪の日、あるいはまさに危険な大雨や暴風に見舞われている最中かもしれません。

時間も問いません。去る2022年6月に1000人以上が犠牲になったアフガニスタン東部での地震は住民が就寝中の午前1時半頃に、今年2月に起こったトルコ・シリア地震ではまだ多くが深い眠りについていたであろう未明の4時過ぎに発生しました。1995年1月の阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)は多数が活動開始前の午前5時46分頃のことでした。また大地震の場合、さらなる被害をもたらすほど大規模な余震も中長期間発生し続けることを想定しなくてはなりません。

地震がある日突然起こったら……、やはり落ち着いて自分の命や体を守る行動をとることが最善の対応策といえましょう。そして、可能なかぎり正しい情報を入手し適切な行動をとることが、被害を最小限にとどめ、より早い復興につながっていくことになると思います。

関東大震災では根拠のないデマや噂が人々の不安感をあおり、少なからぬ朝鮮半島出身者が自警団に虐殺されたほか、混乱に乗じて労働運動関係者が警察に殺害された亀戸事件、無政府主義者の大杉栄伊藤野枝甘粕正彦憲兵大尉に絞殺された甘粕事件といった、痛ましい出来事が起こりました。残虐なこの種の事件は決してあってはならないものです。かりに今、大地震が発生し通信インフラが激しく損壊したとして、復旧までの寄る辺ない状況のなか、さて私たちはどのように正しい情報を得て、適切な行動をとっていくべきでしょうか。

政府は、近い将来、発生の切迫性が指摘されている大規模地震として、南海トラフ地震、日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震、首都直下地震、中部圏・近畿圏直下地震をあげています。特に、南海トラフ地震と首都直下地震は、今後30年以内の発生確率が70%と予想されています。このように身近に迫る危険である地震……、交通事故や台風、大積乱雲の接近を警戒するのと同じレベルで注意を向けておくことが大切ですね。


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