イギリスの裕福でない家に生まれたコナン・ドイルは、家計を助けるために医者になりました。しかし大学を卒業後、開業したものの、患者がほとんど来ません。そこで暇つぶしのために、ドイルは小説を書き始めたのです。短編の投稿で原稿料を得たドイルは、医者としての仕事が増えない中、長編推理小説の執筆に取り掛かりました。
それが、観察眼と推理力にすぐれた探偵シャーロック・ホームズと、友人医師のジョン・ワトソンの物語『緋色の研究』でした。シャーロック・ホームズの着想のきっかけは、医学部在学中の名物教授のある得意技にあったそうです。患者の服装や行動から職業や経歴をおおかた推測することができた教授をヒントに、あの有名な探偵シャーロック・ホームズが生み出されたのです。ドイルは『緋色の研究』を書き上げ、出版社に持ち込んだものの何社にも出版を断られます。ようやく出版にこぎつけた後も本は鳴かず飛ばす……。
そこでドイルは推理小説を諦め、歴史小説を書き始めました。これが評判となり、小説家として知名度をあげていきます。そのような中、1889年に雑誌編集者から、もう一度シャーロック・ホームズを主人公とする推理小説を書くように勧められました。書き上げた『四人の署名』。掲載時には大きな反響がなかったものの、1891年に月刊誌で短編の読み切りとしてホームズシリーズの連載を開始すると、これが爆発的な人気を集めました。ドイルは、掲載した「ボヘミヤの醜聞」「赤毛組合」「花婿の正体」「ボスコム谷事件」「まだらの紐」といった短編をまとめ、『シャーロック・ホームズの冒険』を刊行します。
その後も、ドイルは編集者からの強い要望を受けて、引き続きホームズの短編を執筆しました。しかしドイル自身は推理小説執筆への興味はすでに薄れ、いやいや書いていました。そのため、1893年12月号でホームズが滝に落ちて死んだことにしてシリーズを終わらせることにしました。
しかし、人気シリーズだったホームズの死に、読者から抗議の手紙が殺到。ドイルはホームズを書き続けることになったのです。最初はそれほど売れなかったシャーロック・ホームズの小説が、書く意欲を失ったあとに人気になるとは、皮肉なものですね。ドイルは歴史小説やSF小説も多く執筆しています。ぜひドイルが力を入れていた歴史小説も読んでみてください。 コナン・ドイルの一生は、ブリタニカ・オンライン・ジャパンの大項目「ドイル」でお楽しみいただけます。
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